赤い羽BLOG

REDWINGとMr.Childrenを愛する男の趣味ブログ

コインポケットのイナズマ

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コインポケットのイナズマとは?

ジーンズのコインポケット部分に斜めに稲妻のように入るシワの色落ちのことを

通称「イナズマ」と言い、これもジーンズ好きが気になるポイントの一つ。

90年代古着ブーム時にはイナズマは使われてはいなかった気がするので

比較的近年に確立されたジーンズ用語のように思う。

 

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イナズマが出来る原理は、ポケット部分の生地の使い方にある。

ジーンズは向こう布(向布)と呼ばれる、ポケットの腰部分の壁になるパーツに

コインポケットが重ねて縫い付けられて作られている。

ジーンズが近代化したリーバイス501の1960代以降の主流の作り方は

向こう布の生地目は横方向、コインポケットは縦方向が基本スタンスになり

この生地の方向の違いで縮みに差が生じ、特有の斜めのシワが発生する。

 

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ただし、ブランドや仕様によってはコインポケットに耳を使う物もあったり

向こう布も縦使いだったり、そのモデルによって様々な物がある。

ヴィンテージのリーバイス501でもイレギュラーな物が確認されていて

必ずイナズマが出来るという訳でもない。

 

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左リーバイス201XX復刻、右リーバイス501XX復刻。

この二つはリーバイスの旧時代を再現した物でコインポケットに耳使いをしている。

耳を使う=コインポケットは横方向になって向こう布と同方向になり

イナズマらしい激しいシワは発生しないようになっている。

バレンシア復刻のコインポケットを引っ張り出して改めて見るとやけに細長い作り。

 

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こちらはリーバイス501XXの1950年代のオリジナルの物。

50年代と言っても、必ずしもコインポケットに耳を使う訳でもなくて

このように個体によっては縦使いでイナズマを確認出来る。

昔は耳使いじゃなくて少し残念みたいに思っていたけど

イナズマにフォーカスしてみると、どちらでも良いように感じる。

 

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こちらもリーバイス501だが66前期の1975年製。

コインポケットの耳使いはイレギュラーな物を除くと60年代後半に終了し

画像の様に縦使いのイナズマが出る仕様が主流になる。

これはサイズが小さいせいもあってか妙にコインポケットが細長い。

比較する物がないので何とも言えないが、66の特徴なのかもしれない。

 

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80年代のリーバイス501赤耳のコインポケット。

マイルドに色が落ちて行く生地の感じが80年代らしい風合い。

それよりも周囲を縫うステッチの雑さが面白い。

 

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三つ並べてみると真ん中の66のコインポケットの形がかなり特徴的だが

イナズマの感じも激し目に入ってる様子。

古い年代の方が縫製は丁寧なのも気になるところ。

 

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こちらは日本製の旧ドゥニームの二つ。

左の方はやや斜めに生地を傾けてイナズマが目立つようになっていて

これはおそらくだが意図的に斜めにしていると思われる。

右のブラックデニムは垂直方向の生地使い。

 

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この二つは履き込んでイナズマがくっきりと出た訳ではなくて

元々加工でリアルな雰囲気に近付けている物。


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個人的には、昔からイナズマを意識していなかったせいもあって

今でもそこまで重要視している部分ではないかもしれない。

ただ、こう色々と比較して改めてじっくり眺めてみると

ここにたまらなく魅力を感じる方の気持ちは良く分かるし

自分では気付いていないような、新しい価値観や概念みたいなものが

ジーンズにはまだまだ秘められていると感じる。